1人の女性がソフトウェアエンジニアになるまで(asaneのケース)

こんにちは。asane といいます。
都内で社内SEをやっています。

wirohaさんやふてぐみんさん、だむはさんの記事に触発されて、ソフトウエアエンジニアになるまでの記事を書いてみました。

発端になったwirohaさんの記事

note.com

誕生~小学校2年

長野県の佐久というとても寒いところで育ちました。
父は高校の英語教師で母は専業主婦です。
父母の実家も長野県なのですが、車で2時間ぐらい離れた場所に住んでいたので、娘3人抱えて母は大変だったと思います。
私は長女で妹が2人います。

幼稚園にはバスで通っていたのですが、通うのがあまり好きではありませんでした。
幼稚園や小学校で友達がいたのかをあまりよく覚えていません。
家の近くに川があって、笹舟を流して遊んだことを覚えています。

小学3年生~6年生

小学校2年から3年にあがる時、父の転勤で父の実家に住むことになりました。長野市の近くです。
それまで5人家族だったのが、祖父と祖母が増えて7人家族に。
小学校も転校しました。
小学校で印象的だったのは、男の子から「馬鹿」と言われて「馬鹿」の意味がわからなかったことです。
それだけぼんやり生きていたのだと思います。

この頃は幼稚園の先生になりたいと思っていました。父が「先生」なのでその影響です。
クラブ活動は手芸部などに入っていました。料理も好きだったのですが、集団活動が苦手で、料理クラブだと人と協力作業をしないといけないと思い、入りませんでした。
休み時間や放課後に、視聴覚室で先生がパソコンを見せてくれて、ゲームで遊んだのがパソコンとの出会いでした。まだ2枚のフロッピーディスクを入れる方式だった記憶があります。

また、父が職業柄ワープロを買い、それを遊んでいたのも小学校時代でした。
ローマ字のタイピングはワープロでマスターしました。印字がきれいだと言って父のワープロはずっとCanonでした。
外字機能で記号を作るのが好きだったのを覚えています。

中学校

パソコン理科部という部活に入りました。
中学校のパソコン室はパソコンが30~40台ぐらいありました。富士通のFM/Vだったと思います。
ここではじめてプログラミングをやりました。BASICで直線を書いたり丸を書いたりするのが楽しかったです。
プログラムの概念自体は小学校の高学年の算数でも少し出てきた記憶があります。
父がWindows3.1のパソコンを買い、一太郎やゲームなどで遊んでいました。

高校

高校の入学祝いでパソコンを買ってもらいました。Windows95が搭載されたNECのPC-9821です。
文芸部に入っていたので、小説を書いたりするのにパソコンはとても役立ちました。

また、親に頼んで自宅にインターネットを導入しました。NEC系列のBIGLOBEというプロバイダにしたので、PC-VANというパソコン通信もはじめることができました。
この頃は親に怒られるぐらいチャットをしていました。まだネットに若い世代が多くなかったので、高校生というだけでかわいがってもらっていました。
テレホーダイに入ってくれと頼んだのですが、寝るのが夜遅くなるからという理由で加入してもらえず、電話代でも怒られました。
はじめてホームページを作ったのもこの頃です。

高校は卒業がけっこうギリギリでした。高校に行くのがあまり好きではなかったです。

大学

大学は図書館情報系の国立大学に入りました。読書とパソコンが好きだったのでなんとなくで大学を決めました。
入ってすぐに「司書の就職は厳しい」と何度も言われたのでぼんやりIT系の就職を考えはじめました。
プログラミングの授業もあり、Cのポインタでつまづく人が多いのを見て、自分は適正があることに気づきました。

大学のバイト募集で、Webサイト作成のバイトがあったのではじめました。時給が1000円超えで他よりちょっと良かったのが理由だった気がします。
その頃はテーブルレイアウト全盛期で、1px×1pxの透明なGIFを多用するのが普通でした。
デザインを本格的に習ったわけでもないのに企業のWebサイトを作っていた牧歌的な時代でした。
茨城の小さな会社だったせいか、よくおやつが振る舞われていたのが良い思い出です。
ここで正社員にならないかという話もあったのですが、漠然と東京に出たかったので断りました。

また、この頃は図書館でバイトもしていました。本の返却コーナーでどしどし返却されていく本から面白そうな本をピックアップして借りるのは、書棚から選ぶのとはまた違って面白かったです。
図書館で女性学の本を沢山借りて、専業主婦になる道よりは、ずっと仕事をしたほうが良さそうだ、という漠然とした考え方を身につけました。

就活は就職氷河期と言われた時代で、結構苦労しました。1社目が決まったところで就活を終わりにしました。

SIer1

新卒カードを使って、独立系のSIerに就職しました。受託と派遣とパッケージ開発、みたいなところです。
同期は10人ぐらい、うち2人が女性という比率でした。
ここで理不尽だと思ったのは、男性だけ社員寮という名目で部屋が安く借りられていたことです。
女性にも家賃補助はありましたが、こういう形で男女差がつくのか、と思いました。
また、働いているうちにわかってきたのですが、女性は結婚すると総務に移動するというルートしかなく、会社員で居続けることはできそうでしたが、システム開発の仕事を続ける道はなさそうでした。
最初の頃は職場のフロアが喫煙可だったので、いつかここをタバコのせいで辞めるかもな、と漠然と思っていましたが時勢で分煙になったのは良かったです。

主に自社で受託やパッケージ開発の仕様決め~コーディング~テスト、みたいな部分の仕事をしていましたが、他社常駐も2回ぐらい行きました。
常駐で携帯電話のキャリアの研究所に行って、ワンセグ画面のコーディングをする仕事は楽しかったです。
逆にとても安定していたのは、健康保険組合のシステムを開発しているところに常駐で行っていた時でした。定時で帰ってなお時間が余っていました。ただ、プロパー(そこの正社員の人)との格差があるのは感じました。(社員食堂には行かなかったり)

技術的にはVB6、VB.netSQLServerあたりがメインで、HTMLやJavaScriptCSSでした。
持株会があったり、社員旅行があったり(楽しかった)、IT健保だったりしました。

基本的に、18時まで客先の仕事、そこから自社の仕事、20時に帰れたら早いほう、みたいなのが普通の会社だったので、体を壊しました。
体を壊したときも病院に会社の人がついてきたりしてくれて、親切でした。

体が持たず、4年ぐらいで退職しました。

SIer2

少し間をあけて、別の、さらに小さいSIerに転職しました。
ここでは独立行政法人から発注されたWebコンテンツ管理システム(CMS)の仕事をメインでやっていたのですが、正直あまりいい思い出がありません。
社長が変わってゴタゴタしたり、忙しいときはめちゃくちゃ忙しかったりしたので色々あってプロジェクトの切れ目で退職しました。1年半ぐらいしかいなかったと思います。
ここは男女差をあまり感じなくてすんだので、その点はいい職場でした。

派遣事務

仕事を辞めてフラフラしていたのですが、少しぐらいは働いてたほうがいいかと思い、お中元の派遣事務に応募して採用されました。
1ヶ月ぐらいの短期の伝票整理の仕事です。
ここで、事務には適正がないとしみじみ実感しました。決められた仕事を素早く正確にこなすことに向いてないのです。(それで怒られたりとかはなかったです)
次(お歳暮)のときも良かったらおいでよと言ってもらったので、次の仕事が決まってなかったら行ったかもしれません。

通販会社

派遣が終わってどうしようかと思っていたら、Twitterのフォロワーが「職にあぶれてる人いない?」というようなツイートをしていたので、軽い気持ちで面接に行き、通販会社の社内システム部門にバイトで雇ってもらいました。
その頃は社内で物流もやっていたので、やれることがなかったら手が空いている時に梱包作業などをしてもらうかもしれないという話でした。これは結局やる機会はなかったです。
応募した時点では2人だけのシステム部で、2人共Twitterのオフ会などで面識があったので少し気が楽でした。その後Twitterつながりでもう1人メンバーが増えます。

1年ぐらいでバイトから社員になりました。

社内の大体のシステムがRubyjQueryMySQLだったので、RubyjQueryを覚えました。MySQLは触ったことがなかったのですが、SQLServerの経験があったのでだいたいなんとかなりました。ただ、健康保険組合のシステムをやっていたころはゴリゴリとストアドプロシージャを書いていたので、作法が違って戸惑いました。 また、リリースのサイクルが早いのにも最初は慣れませんでした。

コミュニケーションツールとして、チャットがそこそこのウェイトを占めているのは結構楽でした。
部署のツールは最初はSkypeだったのですが、Yammerを経て、現在はSlackです。また、全社ではチャットワークを使っているので、仕事中はだいたいSlackとチャットワークのタブを1つずつ開いています。

現在勤続10年目です。
SIerでずっとエンドユーザーの顔が見えない仕事をしていたのですが、今は受け持っているのが大体社内システムということもあって、使う人が見え、要望なども出してもらえるのでそこは仕事を進めていく上でのモチベーションになります。
また、プロジェクトごとにメンバーが入れ替わっていた頃と比べて、部署のメンバーが固定なので、仕事がやりやすいように感じます。

結婚

通販会社7年目ぐらいの時に社内結婚し、親族だけで小規模に挙式と披露宴をやりました。友人や会社の人を呼ぶことも検討したのですが、準備に使った体力を考えると小規模で良かったなと思います。
仕事では旧姓を使い続けています。先日住民票に旧姓を記載する手続きをしました。
姓を変える作業は本当に面倒なので夫婦別姓の法律がはやく通って欲しいと思っています。

おわりに

小学3年生で引っ越した祖父母の家は薪で炊くお風呂で、母が焚き口で手際よくお湯を沸かしていました。(その後2年ぐらいで改築されてガスになりました)
私は薪でお風呂を沸かすことも、桶いっぱいの漬物を漬けることもできないけれど、フワッとした要望を聞き取ってプログラムに落とし込むことは他の人より少し得意だと思うので、それを仕事にしています。
望む人が皆、自分の長所を生かした仕事が出来る社会になればいいなと思っています。